TEAM 
Mt.GORILLA?
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TEAM Mt.GORILLA  


読み:チームマウントゴリラ
発生:1992年宮城県仙台市中倉
 
当初数人での活動が始まり、その後20人前後まで繁殖したのが報告されているが正確な数は不明。全体での活動は珍しく、主に少数のグループで行動する。主な活動はマウンテンバイク関連のレースや林道ツーリングで行動範囲は長野以北から函館以南まで。特に泉ヶ岳、船形山、蔵王周辺の林道、及び利府県民の森で目撃されることが多い。通常は昼しか活動しないがキャンプや飲み会の時は夜行性の性格ものぞかせる。

また通常の活動以外は、山登りやトレッキング、温泉巡り、山菜採り、スカイダイビング、トライアスロンデュアスロン、マラソン、ジョギング、渓流釣り、崖登り、MTBを担いで雪中行軍等々。 

外気温の低下した冬季に至っても冬眠することは無く、バックカントリースキー、スノーボード、ゲレンデスキー等の雪の中で遊ぶことが多いが、グループの中にはオフシーズンも浮気することなく通年通して自転車と行動を共にする者も居る。

メンバーに特別のルールや、決まりは殆どない。
草創期1990〜1991
 現メンバーの或る2人が通勤の為と流行に乗ってMTBを購入。2人はトライアルの真似事で再三再四MTBを破壊しじてんしゃ村に通い詰め出した。業を煮やしたか如何かは定かではないが、度重なる修理の後じてんしゃ村村長は彼らにこの自転車は林道を走るために有る。林道を走ったら?』と啓示を与える。
 この言葉が全ての事の始まりとなり、2人は林道って何?のレベルから、白石蔵王の神嶺林道を皮切りに憑かれたように林道通いを始め、終に泉ヶ岳や船形周辺の林道を走破するに至る。
 その2人の様子を見ていた村長の次の誘惑レースに出てみない?そんなに難しく考えないでサの罠に嵌りレースに足を踏み入れる。身の程をわきまえない無茶な2人は容易に度重なる怪我に合うがそれでも懲りずレースに漬かりだす。この同時期オフロードバイクをやっていた村長の友人2人も加わり計5人でレースやツーリングに通い出し草創期が始まる。

第1次感染期1991〜1994
 その後は、草創期のメンバーの職場の友人、自宅近所の知人、モーターバイクの友人等を誘い(実は騙して引っ張って来た)メンバーが増えだす。(この頃約12人位)そしてこの時期の花見ツーリングの2次会で酔っ払って話している内に特に意味もなく何時の間にかチーム結成とチーム名が決定!する

第2次感染期1994〜1997
 『何でこの歳で自転車なんすか?』なんて事から近所から職場へと広がり、仕事関係者にゾクゾクその自転車熱が伝わる。この時点で総数15〜18名。相変わらず熱心にレースに通い上位を目指す。

第1次成熟期1997〜1999
 その後各メンバーの周辺で徐々に感染が続き増殖する。しかし会員規約等何にもない集まりと出入り自由の為正確な数は村長も不明に。この時期で20〜25名。96年から参加し出したMIGHTY−DUROは中毒となり更に過熱を続ける。

第2次成熟期
1999〜2000
99年後半からは以前のような酒好き、練習嫌い、愛煙家の三拍子揃ったチームの毛色に相反したレース志向の正統派スポーツマンのメンバーが加わり上位入賞する機会が増え、チームの伝統が危うくなる。後進に道を譲る訳ではないが草創期のメンバーは次第に体力等が劣り始めたのか『まあ楽しく走ろうよ』なんて意見も出だす。

第1次安定期
2000〜
返り咲きメンバーや女性メンバーも加わり取り合えずチームは存続中!02年春からは定期ツーリングを開始。